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2015/11/01

Posted on 11/01/2015 by Ryoun Kasai in ,
半村良の小説に『戦国自衛隊』(角川文庫) というのがある。

現代(といっても昭和だが)の自衛隊が戦国時代にタイムスリップする話で、千葉真一主演の映画にもなっているから、ご存知の方は多いはず。ご存知ない方へは、以下はネタばれも含むのでご注意申し上げたい。

この作品、近代兵器 vs 騎馬武者という取り合わせの妙に目がいきがちだが、実は要となっているのは経済ではあるまいか。

伊庭三尉らが到着したのは、彼らが、また私たちが知る戦国時代とは奇妙に異なるものであった。上杉謙信となるはずの長尾景虎は存在するものの、信長も秀吉も存在しない。伊庭に信長の役割が負わされていたことは、結末で判明する。本能寺ならぬ妙蓮寺で彼を暗殺することによって、歴史は自らの歪みを修復するのである。

暗殺の直前、伊庭が朝廷に統一通貨発行のための撰銭令(作中では銭撰令と表記。ただし、ふりがなは "えりぜにれい" )を提案する場面がある。

だが細川藤孝を仲介に、九条家へそれを申出ると、相手はひどくキナ臭い態度を示した。そして宮中人特有のいけ図々しい話題のそらせ方で、将軍におなり遊ばしたら京にお館をお持ちあるように……と、気に入らぬうすら笑いで答えた。

暗殺の引き金は、将軍任官への拒絶であったようにも読める。しかし、それではわざわざ撰銭令の章が設けられた理由がわからない。通貨は国家の根幹にかかわる。近代兵器など比較にならないほど、巨大で得体の知れないパワーを秘めている。半村良という非凡な作家も、そのパワーに着眼したのではなかったか。

タイトルと異なり「伊庭三尉の経済政策」になりそうなので、話を織田信長へと移したい。

実際に信長が撰銭令を発令したのは、死の直前ではない。永禄12年(1569)であり、本能寺の変をさかのぼること13年も前である。

信長の時代の基準貨幣は、明より大量に持ち込まれた銅銭、永楽通宝であったが、畿内以西ではより古い宋銭も多く流通していた。当然、画像右のように摩耗したもの、破損したものも含まれている。一方では、鉄や鉛を混ぜた私鋳銭も使われていた。こうした粗悪な銭貨は鐚銭(びたせん)と呼ばれ、「びた一文」の語源となっている。

良銭が選り分けられ、鐚銭が忌避されることは貨幣流通の阻害要因にもなっていた。これが、つまり撰銭である。そして、円滑な流通のために撰銭を禁止したもの、あるいは撰銭になんらかの制限を加えたものが撰銭令である。