FOREX CHART ANALYSIS BY USING FOURIER TRANSFORM

2015/12/20

Posted on 12/20/2015 by Ryoun Kasai in ,
「貧福論」に登場するのは、まず岡左内という武士。設定は豊臣治世の時代だが、どうも江戸期の経済思想が反映された物語になっているようである。

左内は倹約を旨とし、強く富貴を望んでいる。室内に金貨を敷きつめて、うっとりするのが趣味の男であり、周囲からは武士らしくないと疎んじられていた。

ある夜、左内の枕元に小さな老人が出現する。狐狸の類いかと疑っていると、老人は語りだす。私は黄金の精霊である。普段、大事にしてもらっているのが嬉しく、夜話でもしようと訪れた。金銭を蔑む世の風潮が腹に据えかね、ここで鬱憤を晴らしたいのだと。

江戸期の、とくに儒者の間では貴穀賤金の思想が支配的であった。文字通り、米穀を尊び金銭を賤しむものであり、現代風にいえば金融経済より実物経済を重視する思想である。そうした思想からすれば、左内のような武士も好ましくない存在である。

黄金の精霊は『史記』の「貨殖列伝」や『論語』を縦横に引用しながら、富貴の道の尊ぶべきを説く。わが意を得たりと、左内は膝を乗りだして質問する。世で富むものに、悪業貪欲の輩が多いのは何故か。ここで精霊が「只これ非情なり」と答えるのである。

『雨月物語』成立の直前、幕閣においては田沼意次が側用人に取り立てられている。幕府が豪農・町年寄へ多額の融資をおこなう。市井は潤って、歌麿・写楽・北斎らの浮世絵師が活躍する。国学では賀茂真淵・本居宣長、蘭学では杉田玄白・平賀源内も登場。金融重視の田沼バブル期が、まさに幕を開けようとしていたのである。

華やいだ時代の空気を敏感に読み取って、秋成は一夜の物語を書いたのではないか。そこで黄金の精霊は、金融経済を大いに肯定する。確かに貨幣システムの非情さを指摘してはいるものの、その非情さは必ずしも否定されていない。

時代は移り変わってバブルが弾ける。老中・松平定信は、田沼をことごとく否定するような経済政策を打ち出す。寛政デフレ期が訪れ、それも終わりかけた頃、秋成は『胆大小心録』の中で「何万両という証書も紙屑になる」と書いている。

おそらく金は金貨ではなく、銭も銅銭ではない。一枚の証書に笑い、一枚の証書に泣く人々を見てきた秋成は、バブル期を振り返りながら、一つの心境へ傾いたものと推察する。すなわち金融経済の性は悪なり、実物経済の性は善なりと。