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2018/02/09

Posted on 2/09/2018 by Ryoun Kasai in ,


16世紀、生物学はまだ、学として独立した分野ではなかった。リンネやビュフォンの活躍は、18世紀を待たなければならない。そうしたなかでカロルス・クルシウス(上図)は、植物研究における先駆的存在であったといえる。

クルシウスは、生涯の大半を旅に費やしている。珍しい植物を求めてヨーロッパ中を渉猟し、研究結果は幾冊もの著作にまとめられた。また各地の園芸家と文通するうちに、彼は植物学の権威としての名をゆるぎないものにしていった。

彼が生涯を通じて書いた手紙は、4000通にものぼるといわれている。当時の郵便事情を考えれば緊密で、かつ広範囲にわたる情報ネットワークである。

メヘレンの実業家ヨーリス・ライも文通相手であったので、クルシウスはその報告も受け取っていたに違いない。1564年にライの庭ではチューリップが花を咲かせており、これはネーデルランドにおいては最初期の開花記録であった。

1573年には在オスマン帝国大使であった、あのビュスベックから大量のチューリップの種が贈られており、見事、クルシウスは栽培に成功している。こうした栽培によって増えた球根は、ヨーロッパ各地の文通相手へと送り届けられたのである。

1593年、クルシウスはレイデン大学に教授として招聘され、大学付属植物園の設立を任された。

既に60代も半ばとなっていた。しかし、大学側から専用の私庭も提供されると、そこへチューリップを植え、いよいよ腰をすえて研究に取りかかった。

チューリップは、驚くほど簡単に交配ができる。また、この交配が重なることによって、より複雑な色合いをもつ花が咲くようになる。既に相当数にのぼっていた新種に、クルシウスは色と形状から系統立った分類をほどこした。

当時の人々が好んだのは、花弁に鮮やかな斑の入った品種であった。

なかでも絶大な人気を誇ったのが、白地に赤い斑入りのローゼン Rosen である。 次いで白地に紫やライラックの斑の入ったフィオレテン Violetten 、黄色の地に赤や紫、茶の斑の入ったビザルデン Bizarden の人気が高かった。

ちなみにチューリップの野性種は、すべて単色の花を咲かせる。斑入りの花を咲かせるのは、ヨーロッパ各地の庭で育てられた園芸品種に限られる。

ここでクルシウスを悩ませたのが、ある奇妙な現象である。単色の花を咲かせた球根が、翌年には突如、斑入りの花を咲かせたりしたのである。

この現象はブレーキングと呼ばれたが、いつ、どのようなタイミングで起こるのか、あるいは起こらないのか、まったく予想がつかない。ブレーキングによって、たとえばローゼン系品種の球根を手に入れようとすれば、偶然に頼るほかはない。

ブレーキングの謎は、20世紀に入ってようやく解明された。アブラムシによって媒介されるウイルスが原因だったのである。つまり、当時の人々を魅了した斑入りのチューリップは、すべてウイルス性の病に侵されていたわけである。

結局、ブレーキングの原因を究明できないまま、1609年、クルシウスは83歳の高齢で生涯を閉じた。しかし、電子顕微鏡のない時代である。植物学における権威としての数多くの業績が、それによって傷つけられたことにはなるまい。

チューリップの球根を広く頒布したことは、クルシウスの功績のひとつであった。さらに重要な功績がある。どの品種が希少であり、どの品種がありきたりなのか。確固たる基準を、来るべきチューリップ相場市場のために用意したことである。

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