2016/02/06
もしタレスが正しいとするなら、すべての哲学者は利殖に長けているはずである(世界最初の投機家参照)。まあ、そんなはずもあるまいと思い、今回、調べてみることにした。
散歩をするその姿を見て、人々が時計の狂いを直した逸話は有名だが、カントは金銭管理の方も几帳面である。
生活に余裕のなかった若い頃も、不意の出費に備え、20枚のフリードリヒ金貨だけは決して手放さなかったという。また極端な借金嫌いで、生涯、借金をしなかったことが自慢でもあった。カントは、弟子のヤッハマンにこう語っている。
1770年、46歳のとき、ケーニヒスベルク大学の正教授に就任。それなりの収入を得るようになるが、気をゆるめて贅沢するようなカントではない。倹約を重ねるかたわら、知り合いに6分の金利で貸すなどして、着実に財産を殖やしていく。 死後、その遺産は不動産などを除いても14310ターラーに上り、人々を驚かせている。
ケーニヒスベルク大学の正教授の年棒が166ターラー。現代日本の大学教授の年棒が平均1000万円強というから、換算すれば10億円ほどの遺産になる。ただ倹約によって貯めたものでもあり、彼を「利殖に長けた哲学者」と呼ぶべきかは微妙である。
ショーペンハウアーは、まさに「利殖に長けた哲学者」であり、かつ「守銭奴」と目されたほどの人物であった。
彼の主著は『意志と表象としての世界』だが、これとは別に「読書について」「自殺について」などの小文を集めた『余録と補遺』を出版している。その中の「幸福について」には、次のような記述がある。
ショーペンハウアーはといえば、富裕な商人の息子である。困苦欠乏は他人事としてしか知らず、原則通りの吝嗇家になったわけである。とはいえ貧しい馬具職人の息子、カントに濫費の傾向はなく、どれほどの普遍性をもつ原則なのか……。
1819年6月、ショーペンハウアーは、ダンツィヒのムール商会が倒産したとの一報を受ける。彼自身が出資していた商会である。他の債権者たちは、出資金の7割を返してもらうことで決着をつけようとしていたのだが、これを知って彼は激怒する。 矢継ぎばやに商会へ手紙を書き送り、粘りに粘って全額を取り返したのである。
見事というほかはないが、この後、見事とはいえない事件を引き起こす。
ベルリンに下宿していた際、彼は隣室の女性の話し声に悩まされていた。なにしろ、無類の騒音嫌い。『余録と補遺』には「騒音と雑音について」と題する小文が収められているほどである。とうとう我慢ならず、女性を下宿屋から追い出そうとし、突き飛ばして怪我を負わせてしまう。1821年8月のことである。
裁判所はショーペンハウアーに対し、60ターラーの終身年金を女性へ支払うよう命じた。上記と同じ計算をすれば、年400万円。これを20年に渡って支払い続けたのである。女性が死んだとき、彼は死亡証明書の写しにラテン語で「Obit anus, abit onus.(老婆は死に、重荷は除かれた)」と書きつけた。
守銭奴ショーペンハウアーの胸中、いかばかりのものであったか。
散歩をするその姿を見て、人々が時計の狂いを直した逸話は有名だが、カントは金銭管理の方も几帳面である。
生活に余裕のなかった若い頃も、不意の出費に備え、20枚のフリードリヒ金貨だけは決して手放さなかったという。また極端な借金嫌いで、生涯、借金をしなかったことが自慢でもあった。カントは、弟子のヤッハマンにこう語っている。
この偉人はよくこう言ったものです。「誰か扉をたたく者があると、私はいつも落ち着いた楽しい心で、おはいりなさい、と言うことができました。それは扉の外には絶対に債権者がいないということが確かだったからです」。
(中島義道『カントの人間学』講談社現代新書に引用)
1770年、46歳のとき、ケーニヒスベルク大学の正教授に就任。それなりの収入を得るようになるが、気をゆるめて贅沢するようなカントではない。倹約を重ねるかたわら、知り合いに6分の金利で貸すなどして、着実に財産を殖やしていく。 死後、その遺産は不動産などを除いても14310ターラーに上り、人々を驚かせている。
ケーニヒスベルク大学の正教授の年棒が166ターラー。現代日本の大学教授の年棒が平均1000万円強というから、換算すれば10億円ほどの遺産になる。ただ倹約によって貯めたものでもあり、彼を「利殖に長けた哲学者」と呼ぶべきかは微妙である。
ショーペンハウアーは、まさに「利殖に長けた哲学者」であり、かつ「守銭奴」と目されたほどの人物であった。
彼の主著は『意志と表象としての世界』だが、これとは別に「読書について」「自殺について」などの小文を集めた『余録と補遺』を出版している。その中の「幸福について」には、次のような記述がある。
しかし一般的にみれば、文字どおりの困苦欠乏と闘ってきた経験のある人は、困苦欠乏を他人事としてしか知らない人に比して、これを恐れる気もちがはるかに少ないために、濫費の傾向が人一倍強いということが、原則として認められる。 (ショーペンハウアー『幸福について ― 人生論』新潮文庫)
ショーペンハウアーはといえば、富裕な商人の息子である。困苦欠乏は他人事としてしか知らず、原則通りの吝嗇家になったわけである。とはいえ貧しい馬具職人の息子、カントに濫費の傾向はなく、どれほどの普遍性をもつ原則なのか……。
1819年6月、ショーペンハウアーは、ダンツィヒのムール商会が倒産したとの一報を受ける。彼自身が出資していた商会である。他の債権者たちは、出資金の7割を返してもらうことで決着をつけようとしていたのだが、これを知って彼は激怒する。 矢継ぎばやに商会へ手紙を書き送り、粘りに粘って全額を取り返したのである。
見事というほかはないが、この後、見事とはいえない事件を引き起こす。
ベルリンに下宿していた際、彼は隣室の女性の話し声に悩まされていた。なにしろ、無類の騒音嫌い。『余録と補遺』には「騒音と雑音について」と題する小文が収められているほどである。とうとう我慢ならず、女性を下宿屋から追い出そうとし、突き飛ばして怪我を負わせてしまう。1821年8月のことである。
裁判所はショーペンハウアーに対し、60ターラーの終身年金を女性へ支払うよう命じた。上記と同じ計算をすれば、年400万円。これを20年に渡って支払い続けたのである。女性が死んだとき、彼は死亡証明書の写しにラテン語で「Obit anus, abit onus.(老婆は死に、重荷は除かれた)」と書きつけた。
守銭奴ショーペンハウアーの胸中、いかばかりのものであったか。
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